最上稲荷

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最上さまをお祀りする意味、重要性

会社を経営する理由には、お金を稼いで食べていく、承認欲求を充たす、社会貢献など様々あり、会社を設立して30年持つかどうかが一つの指標とされるが、会社が存続させることは簡単ではなく、実際は30年を待たずして消えていく企業も多い。そんな中で、会社を維持していくために必要なのは何か。企業の、職員の努力だけではなく、何よりその支えとなるもの、土台となるものがしっかりしていることが必要。そのためには社長、指導者、リーダーが揺らがぬこと、皆の支えとなることが求められる。
とはいえ、社長も一人の人間である以上、悩み苦しむが、その姿をむやみに見せるわけにはいきません。時には社内、社外の関係者や友人に限らず、家族にさえも心配を掛けまいとして孤独を抱える人も多いはず。そういう人が頼れるものは何か。その支えとなるものが信仰です。一人静かに手を合わせ、神仏と向き合う時間は、自分自身と向き合い、自分を見つめ直す時間でもある。決断を前に神仏に語りかけるうち、自然と答えが浮かび、腹が決まると言う人は多い。もともと答えは自分の中にあったのだとしても、その答えに確信を持てるかどうかの違いは大きく、それが心の安らぎ、安心へ、そして自信につながり、周囲の人も安心できる状態になれるのです。
常に情報に晒され忙殺される日常生活にあって、静かに自問する時間を持つこと自体、贅沢で貴重な体験のはず。心の整理をし、揺らがぬ指針を持つために信心することは、会社の土台となる経営者自身を磨いていく道であり、それは長い道程ともなるでしょう、しかし、「あなたは一人ぼっちではない なにごとも最上さまと二人連れ」と標語にあるように、信仰の道は決して孤独ではありません。どうあるべきか、どの道をとるべきか、皆さんがその答えを掴む手助けとなるために、寺はあるのです。

毎年参拝することの意義

会社を守ってもらうため一度信心すると決めたなら、年に一度はお参りして、ご祈祷を受け、新たなお札をいただきましょう。なんといっても最上稲荷は最上さまご降臨の聖地ですので、定期的にお参りをすることで、常に新たなパワーを注入することができます。地道にコツコツと続けるということは、何かを達成するためには常に必要なことです。揺るぎない信仰心をもって決めたことを継続できているかどうかは、他の誰でもない自分自身が一番よくわかっていることです。自分が決めたことを実行できなければ、ここぞというときに自分を信じることもできません。一つの決めごととして、定期的にお参りし、一年間最上さまのご加護があったからこそ今があるのだと謙虚に振り返り、感謝を捧げ、次の一年を無事に迎えることができるよう祈りを捧げることは、また、一年間の区切りをつけることは物事のけじめでもあり、新たな一年間を始めるにふさわしい心構えを持てて、社長の後ろに続く人にとっても安心感を与えるはず。一度決めたことをやり抜くこと、それを社員と共有することは信頼関係を築き、社長への信頼を生むもととなるであろう。稲荷の僧侶からの法話を聞きつつ、新たな一年の心の持ちよう、心がけなど学ぶ良い機会ともなります。

朔日参り

「朔日参り」それは古くから日本にある習わしです。お正月、年の初めに新たな決意や願いを抱いてお参りしたり、一年無事に過ごせたことの感謝をお伝えするとともに、新たな一年のご加護を祈ってお参りすることを初詣といい、毎月、月の初めにお参りすることを朔日参りというのです。
生きていると、心の中には日々いろんなものがたまります。愚痴や不安、怒りや焦りなど…。それらをずっとため込んでいると、心や体、または人間関係など、どこかにひずみが生じます。ではそれをどうやって解消すればよいのでしょうか。家族や恋人、友人、先輩など、人に打ち明ければ一時は心も軽くなるでしょう。ですが、大切な人だからこそ、打ち明けるのが難しいときもあるでしょう。なんのしがらみもなく、誰にも遠慮せず自分の思いを伝えたい…そう考えてインターネットに頼ることもあるかもしれませんが、突き詰めればやはり人間関係に行き着きます。
そんなときこそ神仏の前で、目を閉じて静かに手を合わせてみてください。「お天道様が見ている」このことばが示すのは、良いことも悪いことも、神仏は常にあなたのことを見ておられるということです。神仏はあなたに寄り添い、思いをくみ取り、心にたまった重荷を受け止めてくれる存在です。神仏の前で手を合わせ、静かに自分の心を見つめ、思いの丈を語れば、たとえ具体的な言葉ではなかったとしても、自然と心の中に浮かんでくるものがあるはずです。神仏の前に足を運び静かに向き合う時間とは、日常では得られない特別な時間です。手を合わせたとき何が聞こえるでしょうか。普段は聞き逃していたような鳥のさえずり、木々をわたる風の音…、それらに耳を傾けているうちに、きっと心の重荷が軽くなっているはずです。ひと月の間にたまった重荷は神仏の前で下ろし、すっきりと安らかな気持ちで、新しい月を迎えましょう。
朔日(ついたち)は一日のことで、晦日(みそか・月の最後の日)
地道にコツコツと続けるということは、何かを達成するためには常に必要なことです。揺るぎない信仰心をもって決めたことを継続できているかどうかは、他の誰でもない自分自身が一番よくわかっていることです。自分が決めたことを実行できなければ、ここぞというときに自分を信じることもできません。一つの決めごととして、定期的にお参りし、一年間最上さまのご加護があったからこそ今があるのだと謙虚に振り返り、感謝を捧げ、次の一年を無事に迎えることができるよう祈りを捧げることは、また、一年間の区切りをつけることは物事のけじめでもあり、新たな一年間を始めるにふさわしい心構えを持てて、社長の後ろに続く人にとっても安心感を与えるはず。一度決めたことをやり抜くこと、それを社員と共有することは信頼関係を築き、社長への信頼を生むもととなるであろう。

法人供養塔

会社の今があるのは、見守ってくださる神仏のご加護と同時に、これまで会社のために貢献された創業者・先人・物故者など一人一人の努力があってこそ。過去があって今があり、未来へとつながっていく、それは当たり前ではないことに気づき、先人に感謝の気持ちを捧げる場所が法人供養塔です。年に一度、社員が供養塔の前に集まり、心新たに過去・現在・未来について思いを巡らせ、手を合わせることは、仏恩に感謝することに通じます。また、会社の供養塔があるということは、一本の木を育てることに似ています。「墓は根である」と言われますが、大きく太い幹を持つ大樹になるためには、しっかりとした根を作ることが肝心なのです。「徳を積む」というのは見返りを求めて行う行為ではなく、供養塔の前で手を合わせて感謝の気持ちを表すの、それ自体が尊い行為であり、徳を積むことに他なりません。会社のさらなる発展と持続的な繁栄を願うならば、神仏、先人への感謝を込めて、法人供養塔で祈りを捧げましょう。

出張祈祷

会社でお祀りするお宮は社員全員にとって大切な場所であり、清浄な場所でなければなりません。ご希望があれば、最上稲荷の僧侶が直接出向き、お宮の前でご祈祷、修法を執り行います。年次祭やお宮の改修、移転、また会社の地鎮祭や移転、新築の際など、さらには事務所開きなど、神仏のご加護を受けて、新たな気持ちでスタートしましょう。

放生会

放生会(ほうじょうえ)とは、古くから日本各地で行われている伝統行事の一つで、捕らえられた魚介・鳥・動物などを殺生しないで山や川に放し、殺生を戒める儀式として始まりました。その起源は古く、インドにおいてお釈迦さまがおられた時代から行われていたと伝えられています。
 その後、仏教の広まりとともに日本各地で行われるようになり、いたずらに他の命を奪わない戒めとともに、いただいた命に感謝し供養する行事として今日に至っております。
日蓮宗寺院である最上稲荷(最上稲荷山妙教寺)の根本大堂では、毎年6月1日に放生会を執り行っています。私達が生きていく上で犠牲となったあらゆる生き物の霊を慰めるため、年に一度のこの機会に、お釈迦さまの慈悲を願って感謝の気持ちを捧げてみてはいかがでしょうか。

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