最上指針 -冥利と冥福-
祈りを捧げ、感謝を繋ぐ
当山の信仰の両輪となるのが、「祈祷」と「供養」です。
当山は、正式名称を「最上稲荷山妙教寺」という日蓮宗寺院であり、法華経をもって護持されてきました。最上尊の慈悲による一切衆生救済を使命とし、 「祈祷」「供養」「回向」を人々の幸福への願いによる宗教行為として実践してきた、千二百有余年の歴史を持つお寺です。
当山で読誦される『法華経』の薬草喩品に「現世安穏・後生善処」という言葉が出てきます。仏さまの教えによって、この世では安穏に生きることができ、 死後も善い世界に生まれることができるということを表します。当山の信仰に則れば、現世安穏をもたらすのは祈祷であり、後生善処をもたらすのは供養です。
改元により大きな節目ともなる本年に改めて、信仰の両輪である「祈祷」「供養」をより明確に檀信徒の皆様にご理解いただくため、以下の言葉を掲げたいと思います。
冥利(みょうり)は祈祷を以て先となし
冥福(めいふく)は供養を以て本となす
これは、当山二十三世日宣聖人の提唱された「神助は祈祷を以て先となし 利益は供養を以て本となす」という言葉を参考にしています。
最上さまの御加護は、そのお力にすがってでもそれを乗り越えたいという強い純粋な祈りがあってこそもたらされるものであり、先人への尊敬と感謝の念なくしては永き幸福は得られない、という意味です。
冥利(みょうり)
冥利とは、「仏・菩薩によって知らず知らずのうちに与えられる利益。転じて、広く社会や他人から、目に見えない形でいつのまにか受ける利益や恩恵をもいう。…(中村元他『岩波仏教辞典』より)」という意味です。
ことさらには実感できない当たり前に思えることが、実はご自分の善行や心掛けによって賜った、仏さまや菩薩さまからの大いなる御加護なのです。時間が、周囲の人が、生活がいかにかけがえのないものであるか、神仏は常に我々を諭し、お見守り下さるのです。時に厄災に遭遇しても、神仏の眼差しを感じ常に導かれ督励されているという素直な心で事に臨み、真摯に祈る。これが「祈祷」の精神です。
冥福(めいふく)
冥福とは、「冥界・死後の世界における幸福。また、死者の冥界での幸福を祈って仏事をいとなむこと。また、冥冥のうちに形成される幸福の意で、前世からの因縁による幸福、かくれた善行によって与えられる幸福をいう(同前)」という意味です。
死後が幸せでも仕方ないと思うかもしれませんが、その幸せとは一代で築いたものではなく、先祖代々から子々孫々へと引き継がれてゆくものです。旅立ったご先祖に見守られ導かれつつ仏さまの在す浄土に思いをはせ、限りあるこの世を生きることと、その思いを後世に伝えることが「供養」の精神です。ご先祖を供養することは、ご先祖の幸福を祈るだけでなく、自分や子々孫々の「後生善処」に繋がる行為といえましょう。
ご先祖さまより授かった命に感謝し、貴重なものと認識してより良く生きることを心掛け、その精神もろとも次世代へと引き渡してゆく…。 困苦にくじけそうな時は最上尊に祈り、平穏無事を願ってご先祖の供養を行い、自他の幸福を心掛け、安心の心待ちで日々を過ごす…。
「祈祷」と「供養」とは、幸福の追求と生命の尊厳です。当たり前と思うことが覆る昨今の移り変わりの激しさですが、だからこそ改めて世に問いたいと思っています。